北方謙三は、日本の小説家です。


命式です。ヒラリー・クリントンと同じ日に生まれています。


 丁亥壬 印綬 偏財   

 庚戌戊 食神 比肩  

 戊寅甲    偏官 長生



日柱の空亡:申酉



佐賀県唐津市生まれ。幼少時代を九州・佐賀県で過ごします。



実家は曾祖父の代から、唐津市で菓子屋を経営していました。



父親は外国航路の船長だったため、会えるのは船が帰港する時だけでした。その都度、横浜に会いに出かけていました。



小学校5年の時に、神奈川県川崎市に転居します。芝学園を経て、中央大学法学部法律学科入学し、学生運動華やかなりし時代であり、全共闘運動に没入します。


在学中の
1970年、純文学作品『明るい街へ』を同人誌に発表します。



同作が雑誌「新潮」(19703月号)に掲載され、学生作家としてデビューを果たします。1973年同大学卒業。PR誌の企画スタッフをしながら執筆を続けます。


1981年、『弔鐘はるかなり』(『第二誕生日』改題)が出版され、新人としては異例の“書き下ろし長編”による処女出版であり、二度目のデビューとなりました。初版は8千部。翌1982年には、『逃がれの街』(『ふたりだけの冬』改題)も出版され、その後『眠りなき夜』、『さらば、荒野』、『檻』とヒット作を次々と生み出し、“ハードボイルド小説の旗手”として一躍人気作家となりました。


1983
年には『逃れの街』が、主演水谷豊、監督工藤栄一で映画化され、以降『友よ、静かに瞑れ』(1985年)、『黒いドレスの女』(1987年)などが次々と映画化され、作家としての地位を築き上げます。


1989年、初の歴史小説として南北朝時代を舞台とした『武王の門』を発表します。続く南北朝ものである『破軍の星』では、第4回柴田錬三郎賞を受賞しました。


1996
年、全136500枚書き下ろしという大長編、北方版『三国志』の刊行が開始され、以降歴史小説は、中国史へとその裾野を拡大します。1999年には『水滸伝』が小説すばるで連載開始となります。前作を超える全199500枚の超大作は、北上次郎によって「日本の大衆小説の最高峰」と評されました。同作は2006年、第9回司馬遼太郎賞を受賞しています。


2000年より、直木三十五賞の選考委員を務めるほか、吉川英治文学賞、江戸川乱歩賞、小説すばる新人賞の選考委員をしています。


「ハードボイルドの新星」であったデビュー当時は、かつての日活映画のような雰囲気のアクション小説を書いているつもりであり、ハードボイルドの大御所レイモンド・チャンドラーも眼中に置かなかったとそうです。



白井喬二や大仏次郎、中里介山など明治・大正時代の大衆小説を復活させる気持ちで書いていました。そのため、作家になってからしばらく、他の作家のハードボイルド小説に関する談話には入っていけなかったといいます。



ほぼ同時期にデビューした作家には、冒険小説・ハードボイルド小説作家である大沢在昌(1979年にデビュー)、船戸与一(同1979年)、佐々木譲(同1979年)、逢坂剛(同1980年)、志水辰夫(同1981年)らがいます。



「男の死に様、すなわち如何に生きるか」を普遍的なテーマに創作活動をしています。



愛車のマセラッティは、モータージャーナリストの徳大寺有恒の薦めで買っています。



自動車免許を取得したのはハードボイルド小説で成功してからであり、最初に所有した車がマセラッティということで、船舶免許も所有しており、船の係留できる別荘を所有しています。



直木賞には、1983年に『檻』、『友よ、静かに瞑れ』、1985年に『やがて冬が終われば』と都合三度候補になりましたが、受賞には至りませんでした。一方で2000年に同賞の選考委員に就任しており、現在の直木賞選考委員で唯一の非受賞者です。

128回(2003年)選考においては、当時ベストセラーだった横山秀夫の『半落ち』について、自ら関係団体に問い合わせた上で「現実味に欠ける」と指摘しました。



2013年に、 紫綬褒章受章を受賞しています。


ヒラリー・クリントンの本質は、この方のような感じなのだろうかと、ふと、思いをはせます。