昭和29年9月10日から10月30日に書かれ、昭和30年6月15日に全訳が、岡本天明の手で完成した日月神示第17章「二日んの〇キ」は、価値の高いテキストで吟味すべきものです。



これほどのテキストを生み出す神霊というのは、すごいものだと思います。


エメラルドタブレットの語り口とよく類似しています。



 


われわれの一切は、生まれつつある。

 


神も、宇宙も、森羅万象のことごとくが生まれつつある。

 


分離して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。

 

一は一のみて一ならず、善は善のみて善ならず、また真は真のみて真となり得ない。

 


神霊なき地上人はなく、地上人と離れた神霊は。存在しない。

 


愛は愛に属する総てを愛とし、善となさんとするが故に悪を生じ、憎を生じ、真は真に属する全てを真とし、美となさんとする故に偽を生じ、醜を生じるのである。

 


悪あればこそ、善は善として使命し、醜あればこそ、美は美として生命する。

 


悪は悪として悪を思い、醜は醜として醜を思い、御用の醜を果たす、共に神の御の中に真実として生きるのである。

 


一の天界に住む天人が、二の天界に上昇したとき、一の天界は極めて低い囚われの水の世界であったことを体感する。

 


更に、一段上昇、昇華して三の段階に達した時も同様である。

 


地上人的感覚によれば、二の天界に進んだ時、一の天界は悪に感じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い。

 


悪的感覚と悪的実態は自ずから別であるが、この実状を間隔し、し分け得た上、体得する霊人は極めてすくなく、地上人に至りては、極めて稀であることを知らなくてはならない。

 


一から一を生み、二を生み、三を生み、無限を生みなしことも、みなこれ歓喜する歓喜の現われの一つである。



四柱推命を考える場合にも、有益な文献です。