新訳聖書のトマスの外伝によれば、イエスは子供の頃、いじめられていましたが、いじめた子供やその親たちがひどいことになったという内容のことが記されています。イエスは、自分自身にひどいことをした者が不幸になり、自分自身によいことをしたものは幸せになると考えていたようです。弟子を連れて旅をしてた時に起きたイチジクの木の出来事は、そも象徴的なものです。おなかをすかせて旅していた一行の前にあったイチジクには実がなっていませんでした。イエスが「この木どうなると思う」と問うと、木はその場で枯れたというものです。イエスは人を恨むとまずいと考えていたようです。それなので右の頬を張られたら左の頬を出せ、上着を取られたら下着もやれといっていたのです。ただ、こういうことは意外に身近にもあるように思います。私は、これを「キリスト体質」と呼んでいますが、そういう体質の人々はいると思います。そもそも、善因善課の法則が真理なら、その極端な事案というのはそれほど不自然感なくあるという気がします。こうした観点で聖書を読み直してみるとまた違ったものが見えてくるかもしれません。