エトワールの哲学カフェ

マルクソーテが1992年に始めた哲学カフェは、今では世界中にあり、熱い議論が繰り広げられています。電脳世界の哲学カフェへぜひ、お立ちよりください。

2016年10月

 

ドクターⅩ大門未知子の命式


モデルとなったのは、柔道家の松本薫です。どんなヒロインにするか迷っていた脚本家の中園ミホが、ロンドンオリンピックで、柔道では日本人唯一の金メダリストとなった松本がインタビューで「私、ミスはしないの」ときっぱり答えていたのを見て思いついたものです。


中園ミホは、四柱推命の占い師だった脚本家ですので、命式には意味があると思います。


 

昭和5117 水曜日

 

乙卯乙 正官 正官 沐浴 

己丑癸 劫財 正財   

戊午丁    印綬 帝旺 

 

日柱の空亡:子丑

 

広島県呉市出身。

 

明英医科大学を卒業後、東帝大学医学部医局に入局。

 

その後1年半ほどで退局し、キューバ・クバナカン医科大学に進学。

 

僻地医療・軍医・船医を経験した後に日本へ帰国。

 

現在は神原名医紹介所に籍を置き、フリーランス外科医として活動中。

 

手術後は、コップ一杯のガムシロップを飲むのが習慣。

 

日本・キューバ国内での獣医師免許も持つ、ダブルライセンス医師。

 

獣医としての腕も高く、安楽死しか選択肢のないとされていた競走馬の骨折を完治させた。

 

労働条件は勤務時間8:00 - 17:00・年俸約1,200万円・時間外労働は時給3万円・医師免許の必要ない業務はしない。

 

医師としての能力は極めて高く、患者の周辺状況などから事前に容体の変化などを想定する洞察力も併せ持つ。

 

「私、失敗しないので」とたびたび宣言している。

 

教授の下働きや付き合いを「いたしません」の一言ですべて拒否し、他者とは決してつるまぬ一匹狼ぶりと歯に衣着せぬ発言で、大学病院内での組織の一員としては嫌われやすい方針を貫いている。

 

医師免許を持っていなくとも出来る作業は、握手まで断る。

 

手術外では傲慢でいい加減な面が目立つが医師としての責任感は人一倍強い。

 

未知子の父・大門寛も天才的な外科医で、大学を退職してからは僻地で診療所を開業していたが、そこはすでに潰れ、寛もすでに亡くなっている。

 

履歴書に趣味、特技共に手術と書く。

 

終業後はクラブで踊ったり、麻雀に興じている。

 

銭湯通い・卓球・公営ギャンブルなどの趣味がある。

 



命式は、中園ミホによって考えられたうえで選択されたものではないかと推察します。


とても素晴らしいことです。

 

中島みゆき

女性 1952223 土曜日

 

壬辰戊 正財 劫財   衰

壬寅甲 正財 正官   死

己亥壬    正財   胎

 

日柱の空亡:辰巳


よい命式です。

九星は、あまり好きではないのですが、四柱推命との関連は、考察すべき事項です

 

私の四柱推命では、暦の起点は、グレゴリオ暦紀元前4197年1月29日(日曜日)です。
この日の年の九星は、四緑木星です。

 

九星は、年は単純で、起点を基に、どこまでも逆行していきます。

 

3年周期で九星4サイクルで

 

12×3=36

 9×4=36

 

となります。

 

干支は、

 

432198765432 甲子

 

198765432198 

 

765432198765

 

432198765432

 

198765432198

 

765432198765 甲子

 

432198765432

 

198765432198

 

765432198765

 

432198765432

 

198765432198 甲子

 

765432198765

 

432198765432

 

198765432198

 

765432198765 

 

432198765432 甲子

 

と動きますので、四緑木星の甲子は、180年に一度出現します。

 

 

1260÷180=7なので、

 

1260年ごとのサイクルの場合、干支のみならず年の九星も、同じものがあらわれることになります。

 

上手くできているものだと感心します

ちょっと面白い話題で、平田篤胤は、死後の世界や転生を信じていて、実際にそうしたことがあったのではないかという推論があります。

前世は、デビッド・ヒューム

来世は、ハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ


という荒唐無稽の珍説なのですが、生年月日からの整合は、確かにとれています。

平田篤胤の命式です。博識で、剛毅、発想力に優れた命式です。

 

 年     正財 印綬   

 月     偏財 偏印    

 日        劫財   帝旺

 

[日柱の空亡]: 子丑

 

四柱推命を日本に紹介した仙台の儒学者桜田虎門は1778年生まれで、平田篤胤の2つ年下です。篤胤は四柱推命についても知っていたのではないかと思います。



もしかすると、一日違いだったのではないかという推論もあります。

1776年10月6日といわれていますが、1776年10月5日だったのではないかというもので、


方合のそら恐ろしい命式になり、

 年  庚  偏財 偏印   長生 

 月     正 印綬   沐浴  

 日  戊      偏官   建禄


[日柱の空亡]: 子丑


これはムードあるな・・・と感じます。

日月神示の地震の巻の言説です。

極内世界と極外世界とが映像され、その間に中間世界がまた映像される。

極内世界は生前、極外世界は死後、中間世界は地上世界である。

これが、終戦直後に神霊から降ろされた神示というのは、不思議なことだと実感します。




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